知と愛-H.H.

知と愛、学術と芸術、ナルチスとゴルトムント、Narziss und Goldmund

(二つの抽象:無への、記号への抽象と、本質への抽象)

常に芸術に対する憧れがあった。

芸術が何であるかを知っていての憧れ、というのならまだしも、それが何なのかもわ

からぬままにそれに惹かれ、絶えず憧れていた。

(そして、私の兄は芸術への理解に長けているという事を私は知っていた)

哲学者、神学者であるナルチスと、芸術家であるゴルトムントの対比は二者択一を迫

るかのようで恐ろしい。中学生の頃にこの本を読んだ時は、漠然と、情欲と愛情への

追求を続ける芸術家に魅了された。そこには学校で学んでいる事からでは到底理解で

きない、そして学び得る事は不可能な事柄が、いや「何か」が存在している、という

事が、私を魅了した。選ばれた者のみが理解できるものがそこにある。私が選ばれて

いないと誰が言えようか。学び得る事は不可能とはいえ、私には可能なのではない

か。私は選ばれているがそこに気づかないだけではなかろうか。自分がそうである事

を望み、疑う事もしなかった。だが、そうである事を望み、またそれを疑う事の矛盾

には気づかなかったか、気づかないふりをしていた。そして整頓された生活からの脱

出、放浪の試み、狂気が私をそこへ、理性では理解しきれず、論理では表しきれず、

感情と感覚と勘の中でのみ感じ取れるような何かへ、導いてくれるものと信じてい

た。

(そして、心の奥底で、私は兄がより自分より選ばれている事を知っていながらも、

それを許容できない自分を感じていた。兄に対する憧れは、兄への競争意識になって

しまっている自分を知っていながらも、それを必死に隠そうとしていた。自分が常に

どのような者よりも、たとえ兄よりも「選ばれた人間」であるということを自分に言

い聞かせるような傲慢が常に自分の中にあった)

K.J.から機会を得て、あらためてこの本を読んだ私は、幾分か客観的に自分の天性を

判断できるようになった。自分は芸術家ではむろんなく、芸術の理解者でもありえま

い。芸術を開花させる機会がなかった等という戯言ももう言うまい。自分が相対的に

見て、ナルチスの位置にいる事、芸術に対する憧れはいつしか尊敬に代わった事(尊

敬の念はいつかは遜恭に代わるであろう)、そしてナルチスに対する昔の無味乾燥な

感想、「所詮、学者には人間の深い愛情は理解できない」という感想は、ナルチスの

立つ位置から、アリストテレスと聖トーマスの使徒として、世界の本質を、人間の本

質をより認識し、表現してみたいという憧れに代わった事を、今回この『知と愛』を

読んで強く感じた。

学問とは?

理性と道徳と規範。

世界の「秩序の」認識、再表現、再構築。

無による世界の表現。

「君は思索そのものを排斥することはできないが、その『応用』を是認することはで

きる!」

心は貧しいかもしれない。

芸術とは?

無秩序、罪、そしてより人間的。

まず本質を捉え、それから表現の方法を探るという経路をとる。

表現の方法は何でも構わない。

その像(イメージ)はすでに存在しているのだから。

本質の抽出、再表現、しかし、創造的行為を含んだ再表現。

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