音楽はいつもそこに。北京。

北京に来て、様々な音楽家と触れ合う機会があった。自宅に呼ばれて、ミュージカルのように紹介されて、恥ずかしかったけれど、とても心が躍った。
餃子を皆で作り、ふかしたトウモロコシを食べながら、ビールやウィスキーを飲みながら、ショパンのノクターンを弾いてもらった。音楽の合間は、魔術師の見せどころで、カードマジックのお披露目。その途中で太極拳一式を見せてもらった。少し夜が更けてくると、Mistyを一緒に歌う。最後の閉めはドビュッシーの月の光だった。
想えば、北京に来る飛行機で少林サッカーを見ていた。そこには少林サッカーとミュージカルがあった。下手でも歌っていい、踊っていい、なんだかそんな気持ちが残っていたようだった。
誘ってくれたホストは、有名な中国人の指揮者のお孫さん。その周りに、デカダンスでアンニュイな雰囲気が漂う。描写が難しいが、体に決して悪くない電気式たばこの煙が充満した空間で、退廃的ではないながらも、難しいことを忘れて、夜を楽しく楽しむという空気に満ち溢れていた。

想えば、自分の周りには常に音楽があった。悲しいときも、つらいときも、楽しいときも、一人ぼっちの時も、皆と一緒の時も、そこには常に音楽があった。それはジャズでも、クラシックでもポップでもよかった。鼻歌でも、口笛でも、簡単な足踏みだけでも良かった。
それは自分の周りの空間を満たしてくれたし、自分を常にどこかへ掻き立ててくれたし、誘ってくれた。
音楽は常にそこにいた。
それを思い出した夜だった。北京の夜だった。それは、湿っぽい夏の中、エアコンの効いた部屋から外に出てきたときに感じる、むっとしながらも、ああこれが夏だったんだ、と不思議とうれしく感じる瞬間に似ていた。
北京はそういう時代にいる。
自分だけにそれがわかればいい。
数年後、数十年後、音楽を奏でていたすべての人が、このころの北京のすばらしさに、必ず気づくだろうから。
私は今からそれが楽しみでならない。

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