9時間半のディレイってなんでしょう

日本で(少なくとも)9時間ディレイというのを羽田空港で経験中。キャンセルにならなければいいのに、と祈りつつ、もう6時間半待っている。それにしても羽田空港の書籍の品揃えはもう少しなんとかならないものか。せめて外の本屋に15分だけでいいから行かせて欲しい。レポートの資料を送るんじゃなかった。など、ぶつぶつと文句ばかり。しかも再開する時間がまったくわからないので、仮眠をとることもできないという生煮え。読んでた本にも飽きてきた。音楽も既に耳が痛い。軍隊で暇な時は何してたっけな。通り過ぎる飛行機を羊の代わりに数えるのも飽きてきた。北京に大雨が降っているのが原因らしいのだが。温暖化なのか、異常気象なのか。まあそういうものを呪いたくもなるわけで。

だから、ちょっと振り返ってみている。自分用のメモ。

2014年に東京に戻ってきてから3年以上が経過した。2013年にソウルオフィスに異動が決まってから、自分はやはり日本を中心としたアジアのエコノミストになるんだと決意をした。それからは、雨にも負けず風にも負けずを心にとりあえずへこたれず、しがみつき、惨めでもなんでもいいから頑張っていこうと考えてやってきた。

3年の間、達成できたことが皆無だとは思っていない。だが、今年に入ってから、自分の小ささ、無知さ、適当さ、甲斐性のなさなど、自分で自分に鼻につくことがやたら滅法に多い。思想も思考も貧弱で、考え直すと稚拙な考えの結果を、それこそ噛みしめることもなく、ただただ行動に移すだけで、それも全て適当な行為の結果、適当な幕引きをして終わりつつある。なんてこった。

先日、ダヴィンチの素描を観た。素描の精緻さ、躍動感などに目を留めることもできただろうに、自分はダヴィンチの手帳の字の几帳面さ、研究の精緻さ、追求する真摯な姿勢に打ちのめされてしまった。ぐうで殴られて、これでもか、これでもか、というくらい踏んづけられてしまった。他でもない、自分にである。

あのような天才でさえも、あんなに几帳面に、真面目に、しっかりとした筆致で世界を捉えるのに必死だったのに、自分はただただ流れる時間に甘えて、ちゃんと向き合うこともせず、ちゃんと幕引きすることもなく、ダラダラと一緒に流れるままにしていた。

自分のいる位置を振り返ることもなく、ほっとけば勝手に流されていくだろうと諦めている大会に浮かんだ古木のように、太陽に焼けながら、雨に晒されながら、自分で泳ぐなどということは出来ないと決めつけて自分を縛り込んでいた。その結果がこれだ。もう自分は古木ですらもやめて、ただの浮遊物に成り下がってしまった。

これではいけない。まえずはせめて、流されているようで実はしっかりと泳いでいるクラゲになってみよう。それが出来たら、少しは身体を固めて、流れにもう少し逆らってみよう。逆らって、逆らって、もっと力がついたら、今度は陸地に上がってみよう。堤防を作って海を拒絶してみよう。・・・だが今はまず海月だ。ちょっとずつでいい。自分の力で泳いで観たい。

なんとなく今はそう思っている。

まずはゆったりと泳ぎなら、飛行機を待っているわけだが。ああ、空の上に行けば、少しは海月の気持ちがわかるのかしらん。

カテゴリー: ▼蛇足   パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>